【誰もが子どもの頃は“無邪気”だった】
子どもの頃って、なんでも「やりたいからやる」「楽しいからやる」っていう、すごくシンプルな理由で動いていた。
人の目なんて気にしない。間違っていても、うまくできなくても、それでも笑って、何度でもやってみようとする。
あの無邪気さの中には、嘘のない“本当の自分”がいた。
でも、大人になると、だんだんと「周りの目」が気になるようになってくる。
「こんなことしたら笑われるかも」「これは常識的にどうなんだろう」「親が望むことをやらなきゃ」「失敗したらどうしよう」――そんな思考がどんどん積み重なって、自分の本音を押し殺すようになっていく。
そして気づけば、「やりたいこと」がわからなくなっている。
そんな大人が、今、世の中にはたくさんいる。
【気づきの瞬間:神って、もしかして自分の中にいたのかもしれない】

最近、ふと気づいたことがある。
それは――神って、潜在意識そのものじゃないか?ということ。
何かを「やりたい」と思う気持ち。
「これだ」と感じる直感。
「うまくいく気がする」という根拠のない確信。
それって全部、潜在意識――つまり、頭じゃなくて心の奥から湧いてくる“静かな声”だ。
でもそれって、よく考えると「祈り」や「神の声」と似ている気がする。
神社に行ってお願いごとをする。手を合わせて何かを願う。
それって結局、自分の心の奥にある“本音”を静かに見つめて、そこに語りかけてるようなものなんじゃないだろうか。
【成功とは「他人の目を気にせず、やりたいことをやり続けられること」】
「成功したい」って言う人は多いけれど、
本当の成功ってなんだろう?
僕は思う。
成功って、他人の目を気にしないで、自分のやりたいことを“やり続けられること”なんじゃないかと。
派手な実績やお金の多さではなくて、
“自分にウソをつかずに生きられるかどうか”。
心が満たされて、自然と笑えるような生き方こそが、何よりも豊かなんじゃないか。
でもそれを実現するには、
自分の中にある“邪気”――他人の評価、恐れ、過去の失敗体験――を払って、
あの頃の“無邪気さ”を思い出す必要がある。
【邪気を払い、無邪気に戻る】
邪気っていうのは、霊的なものだけじゃないと思う。
日々の不安、嫉妬、焦り、怒り、比べ癖――そういったものも、じわじわと心を曇らせてくる“邪気”なんだと思う。
だからこそ、
忘れかけていた“子どもの頃の自分”を思い出すことが、大切なんだと思う。
自分が夢中になれたこと。
なにも考えずにワクワクしてた時間。
何もできなくても、ただそこにいるだけでよかった感覚。
それを思い出せたとき、
潜在意識――つまり神――と、またつながれる気がする。
【結び:神と再会する旅は、自分の内側にある】
神って、どこか遠くにいる存在じゃない。
どこかの高い山の上や、神殿の中にいるわけでもない。
神は、潜在意識として、ずっと自分の中にいた。
僕たちはそれを「忘れてしまっただけ」なんだと思う。
だからこそ、思い出すことが大切。
無邪気だった自分、まっすぐだった心。
それにもう一度触れたとき、僕たちはまた、神と再会する。
難しく考えなくていい。
ただ、自分の「やりたい」「楽しい」「これ好き」っていう声に、
今日ちょっとだけでも耳を傾けてみよう。
きっとそれが、
神(=潜在意識)とのつながりを、また少しだけ深めてくれるはずだから。
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