【タコライス哲学】深夜のキッチンで炒めたのは、肉と人生だった話

未分類

深夜、ひとりの青年が静かにタコライスを炒め始めた。

深夜1時すぎ。

冷蔵庫を開けたら、そこに眠っていたのは賞味期限ギリのひき肉とちょっとシナったレタス、そしてタコスミートの素。

「お前ら、出番だ」

俺は迷わずフライパンを火にかけた。

ひき肉を炒める音がパチパチと響く。

そのリズムに合わせて、なんとなく自分のこれまでの人生を思い返してた。

「普通」って、なんなんだろう?

昔はよく、「普通が一番」「ちゃんとしなさい」って言われた。

でも正直、俺は“普通”が一番つまらないと思ってる。

やらかしたこともある。

人に迷惑かけたこともある。

でも、あの経験があったからこそ、今の自分がいる。

ただ言われた通りに生きてたら、

きっと俺は、タコライスを炒めながらこんなこと考えたりしなかった。

「普通が一番つまらない」って、夜空を見ながら思った。

善と悪って、誰が決めた?

「世の中で禁止されてるもの」

「悪い」とされてるもの

それって本当に“悪”なんだろうか?

そもそも「悪」って誰が決めた?

何が正しくて、何が間違ってるのか——

それは、いつも“その時代のルール”の上にあるだけ。

だからまずは、当たり前に信じてた“常識”を疑ってみようと思った。

油が跳ねてもいい。焦げてもいい。自分の人生は自分で味つけしていくんだ。

タコライスも、人生も。

目の前のフライパンの中では、ひき肉がちょうどいい感じに炒まってる。

油が跳ねても、焦げても、それもまた味になる。

人生もたぶん同じだ。

ちょっとぐらい焦げてもいい。

跳ねてもいい。

ルールにハマらなくてもいい。

大事なのは、自分で選んで、自分で味わうこと。

皿に盛ったタコライスをかき込みながら、

俺はふと思った。

「もしかして、俺の人生、けっこう美味いかもしれない」

この記事を書いた人:seity

タコライスを炒めながら哲学に目覚めた、沖縄生まれの自由人。

常識や枠にとらわれず、自分らしく生きたいすべての人へ発信中。

X フォロー&シェア歓迎!フォローして投稿の通知をいち早くゲットしよう( ^∀^)

Xアカウント ここをクリック

タイトルとURLをコピーしました