〜合わせすぎた人生からの脱出〜
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■ 自分が“自分”じゃなかったあの頃
気づいたら、俺は「正解」を演じることに慣れてた。
親に怒られないように、先生に褒められるように、
職場で嫌われないように、恋人に嫌われないように。
誰かの期待に応えることが当たり前になっていて、
「本当の俺」なんて、いつの間にか奥底に沈んでしまってた。
でも、それで得たものって、なんだった?
安心?信頼?
違う。どこか薄っぺらい“偽りの安心感”だった。
その場はしのげても、心はずっとモヤモヤしてた。
なんか違うって、ずっと叫んでた。
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■ 本当の自分ってなんだった?
小さい頃の俺は、もっと自由だった。
興味があることに一直線で、泣きたいときは泣いて、
好きなものを好きって言えた。
なのに、いつからだろう?
「変に見られたくない」って感情が、自分の言動を制限しはじめたのは。
気づけば、“人にどう見られるか”が人生の基準になってた。
本当は俺、もっと不器用だし、めんどくさい人間だし、
でもそこが“俺らしさ”だったのに、
全部「世間に合わせるフィルター」でぼやけてた。
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■ 崩壊の瞬間 ― もう無理だ、俺じゃない人生は
ある日、ほんの小さなことで心が爆発した。
それは他人から見たら些細な出来事だったかもしれない。
でも、俺にとっては「自分をずっと殺し続けたツケ」だった。
その瞬間、俺は思った。
「このままじゃ、俺は“俺”として死ぬ」と。
もう無理だ、って思った。
人に合わせるために生きて、自分を失うなんて、
そんな人生、望んだこと一度もない。
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■ 静かに始まった“本当の自分”との再会
そこからだった。
無理して会ってた人とは距離を取った。
自分の気持ちに素直になることに、時間を使うようになった。
好きな音楽を聴いた。
植物を育てた。
ひとりの時間をちゃんと感じた。
その中で、少しずつ聞こえてきた。
「俺、こんなことが好きだったんだ」って。
他人の声を消したら、自分の声が聞こえるようになった。
その声は、思ったよりも優しくて、情熱的だった。
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■ 今、“俺らしさ”を生きてる
もちろん今も迷うことはある。
完璧な自分じゃない。
でも、“自分を裏切らない”っていう軸ができた。
それだけで、驚くほど生きるのが楽になった。
俺は俺でいい。
この言葉を、自分にちゃんと許せたとき、世界が変わった。
今の俺は、
自分の言葉で語るし、
好きなことに素直に向き合うし、
周りと違っても、それが“俺の価値”なんだって思える。
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■ 最後に ― あなたが今、苦しんでるなら
もしこの記事を読んでるあなたが、
「周りに合わせすぎて苦しい」とか
「自分らしさがわからなくなってる」と思ってるなら、伝えたい。
それ、あなただけじゃない。俺もそうだった。
でも、自分らしさって、思い出すことができる。
無理に“何者か”にならなくていい。
ただ、“本当のあなた”を少しずつ取り戻していけばいい。
時間はかかってもいい。
何度間違ってもいい。
でも、自分を無視しないであげて。
俺もまだ旅の途中だけど、
一緒に、“自分らしく生きる”人生を歩こう。
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