身体は重ねられても心がつながらない。ゲイの夜

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ふとした夜に感じる、言葉にできない空虚感

誰かと肌を重ねたあと、シャワーの音が遠くで響いている。
その間、ベッドの上でスマホを見ているふりをしながら、
心のどこかで「またこれか」と思っている自分がいる。

僕たちは、出会うことには慣れている。
アプリを開けば、すぐに繋がれる。
けど、つながった“はず”なのに、どこか空虚なのはなぜだろう。

この夜のぬくもりは、明日にはもう消えてしまう。
それが分かっているから、心はどこか冷めていて。
だけど、また繰り返してしまうのは、
やっぱり、どこかで何かを求めているからなんだろう。

セックスから始まる関係の落とし

ゲイの恋愛は、ときどき順番を間違える。
最初に身体が触れ合って、後から名前を知る。
でもその時点で、もう何かがズレている。

「気持ち」より「タイミング」、
「人柄」より「体型」、
「心」より「欲望」
が優先されることが当たり前になっていて、
それがいつの間にか「普通」になってる。

でもね、終わった後にひとりになるたびに思うんだ。
本当に欲しかったのは、
ただ抱き合うことじゃなくて、ちゃんと“寄り添うこと”だったはずだって。

本当に欲しかったものは何か

「ただ寂しかっただけ」
「ムラムラしてたから」
そうやって自分の気持ちを処理しようとするけど、
本当はわかってる。

僕が欲しかったのは、
“特別に想われること”だった。

他の誰でもなく、自分だけを見つめてくれる人。
その人の中で「代わりがきかない存在」になれること。

誰かに必要とされたい。
誰かの“日常”に溶け込んで、安心したい。
恋人という名前がほしいんじゃなくて、
安心して心を開ける場所が欲しかっただけなんだ。

そしてできることなら、
それがこの前隣で眠っていたあの人だったらよかったのに、と思ってしまう。

どうしたら、心がつながる関係に出会えるのか?

じゃあ、どうしたらそんな人に出会えるのか。
答えは、たぶんすごくシンプルで、だけど、すごく難しい。

まず、自分の心をごまかさないこと。
「寂しい」「誰かに会いたい」っていう気持ちを、ちゃんと認めること。
それは恥ずかしいことじゃない。
むしろ、その素直さが“つながる鍵”になる。

そして、自分を安売りしないこと。
どれだけ孤独でも、「わかり合えない人」と無理に一緒にいない。
身体だけの関係で心をすり減らすくらいなら、
ひとりでNetflix観てたほうがずっといい。

本当に心がつながる人と出会えるときって、
たいていセックスの前に“会話”がある。
くだらない話、どうでもいい話、真面目な話、ちょっとした言葉のキャッチボール。
そこに安心感とリズムがあって、
「この人と、もっと話したいな」って自然に思えること。

それがあれば、
セックスは“ゴール”じゃなくて“結果”になる。
そういう関係が、僕はやっぱり欲しい。

寂しさを否定しないで

寂しさは、ダサくない。
誰かを求めるのは、弱さじゃない。

それを見ないふりして、
「割り切ってるよ」なんて強がっても、
本当の孤独は消えてくれない。

だから僕は、ちゃんと向き合いたいと思う。
寂しいときは寂しいと言える自分でいたいし、
その気持ちを受け止めてくれる誰かと、ちゃんと出会いたい。

きっと、まだ見ぬ誰かが、
同じようにこの空の下で、
静かに「心でつながれる人」を探している。

その人と出会える日まで、
僕は僕を大切にしながら、今日を生きていく。

どうでしたか? この文章を読んで「わかる…」って少しでも思った人がいたら、
それはきっと、あなたの心が優しい証拠です。
読んでくれてありがとう。

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